コーヒーなんてなくても、人は生きていけます。命は繋いでいけます。必需品ではないのです。
私たち、焙煎士はあってもなくても、どっちでもいいようなものを作る仕事を通して自身の人生に何らかの意味付けをしようとしているのです。
世の人びとが、ふつうに職場に向かい、日々の仕事に勤しんでいるなか、その日の風向きやら陽気なんぞを気にしながら焙煎釜を回してコーヒーを作っているだなんて、ある意味、真っ当じゃない生き方をしているような気がします。気楽に見られても仕方ないです。
町の人々からは、ちょっとだけ必要とされている存在。
「たまにはおいしいコーヒー飲みたいから、あの店大事にしてあげよう」そんなふうにして生かされているのでしょうね、私たち。
コーヒーは、形となって残るものでもないです。飲んでしまった瞬間には消えてなくなる、儚いものです。
それでも、その瞬間、その人をほんの少し幸せな気分にさせる。
これが私たち焙煎士の本分なのでしょう。
これから先も、永く続けていきたいと思います。
畦地梅太郎「山男」1953年。
満月洞さん曰く、「とんでもない、畦地の代表的な作品のひとつ」。
美術館でもこの作品を所蔵しているところは、あまりないみたいです。
じつは、ついこの前までコーヒーノートに飾らせてもらっていました。
ミキ様 本日は「中国民間剪紙」の金魚の絵が見つかりました!
一冊のファイルには八枚の剪紙がはいています。お気にいるとよいのですが。
あと素晴らしい一枚のものがありました。大きいもので大体縦一メートル、幅は50センチで、でか過ぎるのではないかと思いましたがもし欲しいければ買っておきます。如何いたしましょうか?ご指示をお待ち申し上げ候。
ツネオ様 ミキです。
早速にお探し下さってありがとうございます。ツネオ様のお選び下さったものでしたらとても気に入ると思います。
そんなに大きいものですか!
ならば中国剪紙展をコーヒーノートで開催しようと店主と話しています。お手間をお掛けいたしますが
そのでか過ぎる剪紙、「買い」です。
よろしくお願い致します。
Mikiさま 承知しました。それではあのでか過ぎるものとその他のものも運んでまいります。早速今日(日曜日)朝一番で買ってきます。
田舎には剪紙の名人とされているお婆ちゃんがいて素晴らしいものを造ります。剪紙展を開くにはその婆のものがなくてもやはり数がいるでしょう?こまったものですにゃ~!
なお、「剪紙展」がうまくいったら今度は「販売展」を開きませんか?“転売”して、乾燥しすぎる北京の空気には“潤い”を!!
(何茶って)
Miki様 たった今でか過ぎる金魚の剪紙を手に入れました。ご安心ください。額なしです。よろしいでしょうか?
作者は河北省の農民です。お店の人はその作者の親戚だそうです。一寸かw去った風貌で、目が青い。シルクロードの影響かな?剪紙にまつわる物語は之ぐらいです。
なにとぞよろしくお願いします。
注:「一寸変わった風貌で・・・」と読んでください。
ツネオ様 ミキです。今日は店主がお出掛けで、私がコーヒーノートを切り盛りしておりました。満員御礼!ご来店くださったo女史より
ツネオ様が大変な思いをなさって探して下さっているとお聞きし、申し訳なく、また、感謝いたしております。剪紙は1000年の文化だそうですね。国宝級名人作なぞというのは私には分不相応。農民の手仕事、民芸を見てみたいと思っていました。額なしの方がまた嬉し!です。
どうもありがとうがございました。
剪紙展はでか過ぎる剪紙をメインに
開催いたしましょう。
Miki様、額なしの方だと運びやすいと思いました。額なしでもよかったのは私も助かりました。そのほか気に入ったものも自分用に買っておきました。中には観音様もあります。私には必要だそうです。
ツネオ様 ミキです。
ご帰国を楽しみにお待ち申し上げております。
ところで中国の民はこの剪紙を如何様にお使いになるのでしょうか?観音様が必要と言われたように、家の中にお札みたいに貼っておいたりするのでしょうか?
鬼門にはこれを貼るなんて使い方をするのでしょうか?
それとも単なる装飾品なのでしょうか?
Miki様、農民のほとんどは窓のグラスに張ったりするのです(ガラスがない時代は障子紙に)。いわゆる、飾りの一種ですね。春節等に使われるのは大体ショウキ様等、昔の英雄の木版です。室内に飾る場合、昔は壁に貼ったものですが最近、額に入れる人が多くなりました。。特に観音様のような絵など。
秋田県の昔のお札買取を取消すしたい。軽い調子でな感じで行きます。
神奈川県の昔のお札買取をずっとして知りたい。採録を通る。