私が最初に見学に出かけたのは”東京巻き毛カナリア”の品評会。
会場は都内の下町にある、公民館のようなところ。
一般のペットショップで見かけることはまずないであろうこの小鳥は、明治時代の中頃、東京を中心に作出され、ごく一部の好事家の手によって種の保存と継承がなされてきた。
この品評会が人目に付かないような地味な場所でひっそりと行われているのも、この小鳥を一般に広く知ってもらうことが目的ではなく、愛好者同士が集い、日頃の丹精の成果を称え合うため、と考えれば納得出来る。むしろ見学と称してひょっこりやって来た私は、本来ならば異端視すべき存在だったのかも知れない。
履き物を脱いで畳敷きの部屋にあがると、そこには長座卓がずらりと並べられて…。
いる、いる!本でしか見たことがなかった正真正銘の東京巻き毛カナリアが!!
巻き毛カナリアは大型のカナリアで、羽毛がくるくると、それはそれは見事にカールしている。ふわふわのショールを纏った着物姿の女性といった風情。なかでも特に目を惹くのは、その姿勢である。
スズメでもカラスでもなんでもいい。普通の鳥の姿勢を思い浮かべてもらいたい。あれは人間に例えると、つま先を立てて、しゃがみ込んだときの姿勢にあたる。(止まり木を掴んでいる、または地べたに接している、我々が足と見ている箇所、この部分は人間の足指に相当し、一番目立つ「く」の字型に折れている関節部分は人間の足首に相当する)これが普通の鳥の基本姿勢。これに対して、巻き毛カナリアはすべての足関節を真っ直ぐに伸ばして直立する。要するに、人間がつま先立ちしているような姿勢を保持し続けるのである。それでいて、腰を”ぐっ”とため、顎を引いて首を水平に保つ。
直立不動で、気品すら感じさせる佇まいの鳥たちを前に、ただ感激するほかなかった。
さらに、目を見張るのが巻き毛カナリアのための籠、いわゆる鳥籠で、これが非常に細い竹で作られている。象嵌が施されていたり、漆(海外ではジャパンと呼ばれるらしい!)が塗られていたりで、贅を尽くした工芸品といえるものばかり。それに見合うだけの素晴らしい姿の小鳥であることは疑う余地もない。小鳥と籠とが一個の美術品として存在しているのだ。
感激する一方で、私にはこの巻き毛カナリアが共に暮らすペットというより、美術品、芸術品のように感じられ、自分の家に連れて帰ってこられるような代物ではないという事も理解できた。じっさいにこの目で見たからこそ、そう結論できたのだ。居ながらにして多くの情報を手にすることができる世の中になっても、それは単なる情報にすぎない。実物と相対することで得られる体験には敵わない。体験が伴わなければ、ものごとの本質をみつめる事はできない、というのが私の考えだ。
巻き毛カナリアをあきらめると、私の頭も次第にクールになってくる。しぜん、周囲の人達に関心が向き始める。私と同じように所在なさげにしている人がひとり…。
このたびの品評会に、ローラーカナリア愛好会の代表として招待されていらした”I ”さんである。これが、私と”I ”さんとの最初の出会い。
何を隠そう、この”I ”さんこそがコロちゃんの育ての親なのである。
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