先日に続いてアルゼンチンのお話です。
お客様がアルゼンチンに里帰りされて、親戚の方と持ち物の交換をされたというお話を伺いました。
自分が大切に持っているものを互いに交換するというのです。
遠く離れて暮らしていても相手のことを忘れずにいるために。友情の証ともいえるのかも知れませんね。
こういう習慣って日本にはないと思いますが、すてきなお話ですね。
愛用のパイプと、短刀を交換されたそうです。
この短刀、刃はドイツのゾーリンゲン、柄(つか)の部分は銀、鞘は銀細工を施した皮革製。
ギラリと鈍く光る刃は、この短刀が単なる装飾品ではなく実用品であることを物語ってます。
じっさい、アルゼンチンでは刃物には命が宿っているという考えがあって、何代にもわたって受け継がれるものもあるそうです。
アルゼンチンの作家の詩を併せて紹介していただきました。
ぞくっとする内容なので、みなさんにも紹介させていただきます。

ー 短刀 ー 詩:Jorge Luis Borges (ホルヘ・ルイス・ボルヘス)
書斎の机の中にひとふりの短刀がある。
前世紀末、スペインのトレドで鍛えられたものである。
父がウルグアイで人から譲り受け、アルゼンチンに持ち帰ったものである。
(カリエゴ氏もきっとこれを手にしていたはずだ。)
この短刀を見る者はしばらくの間、惹き付けられて手にしてみたくなってしまう。
ずっと前からこの短刀を探し求めて来たかのように。
自分を握ってくれる者を待つ柄。人はその柄を握ろうとする。
従順で強靭な刃は鞘の中に緻密に収まっている。
しかし短刀の望みは別にある。
それは金属から作られた物体が持つ以上の望みである。
人が、あるはっきりした目的のためにその短刀を形作ったのだ。
この短刀はある意味においては、きのう下町で人を殺した短刀でもあり、かのカイザーを殺した短刀でもある。
人の命を奪いたいと願うもの、どっと流れる血を見たいと願うものだ。
古い手紙や原稿の下書きに紛れて、その短刀は永遠に単純な夢 ー虎が獲物を夢見るが如くー を見ている。
そして人の手がそれを握るとき、人の手が勢い付くのだ。
なぜなら、その金属が勢い付くからだ。
その金属は人の手に触れられるたびに自分が作られた目的を思い出すのだ。
それはあまりにも強靭で、固い信念、ゆるぎない愚直な傲慢さを備えているのに、
何事もなく年月が過ぎ去っていくのを見ると、ときには哀れに思える。
註)カリエゴ氏:Evaristo Carriego:アルゼンチンの詩人
アルゼンチンの短刀の話と詩の紹介魅力あふるるものでした。
有難う御座いました。また機会が御座いましたら珍しいお話をお聞かせ下さいませ。